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悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉 ―スターリンの農業集団化と飢饉テロ
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税込価格 5,400円
本体価格 5,000円
著者 ロバート・コンクエスト〔著〕/白石治朗〔訳〕
体裁 A5判 上製本 639頁
発行 2007年4月20日
ISBN 978-4-87430-033-6


商品詳細情報

 

—時を隔て、いま甦る20世紀の悪夢。

 

 

餓死者700万人以上、1933年のヨーロッパの穀倉地帯、 ウクライナを襲った20世紀最大の悲劇ヒトラーのホロコーストを上回るスターリンのウクライナ 農民大虐殺—中国、カンボジア、北朝鮮へと続く飢饉テロの原型—の全貌を初めて世界に知らしめ、 ソ連崩壊を加速させたロバート・コンクエストの歴史的名著 “THE HARVEST OF SORROW” 初邦訳!

 

 

2006年11月28日、ついにウクライナ議会が 「ソ連によるウクライナ人に対するジェノサイド」と認定。20世紀は共産主義の時代であった。

共産主義の独裁者たちは、世界各地で無数の自国民を餓死させたが、アメリカ、ヨーロッパ、日本の政治家や知識人たちは、彼らの虚偽の報道にたわいなく騙され続けた。飢餓とデマゴギーこそが共産主義の実態であった!

1932〜33年、ウクライナでは実に全人口の約20%がスターリンの犠牲者となったのである。毛沢東が大躍進時代に中国農民3000万人を餓死させたといっても、これは全人口の5%にすぎない。ウクライナ民族に与えた影響は計り知れない。

本書は、スターリンの飢饉テロや富農迫害、農業集団化などの惨状を明らかにした貴重な研究書であると同時に、子供の人肉を食らう人々、生きた体にウジのわく女性、カエルのようになった子供の顔を見つめる母、靴の革までスープにいれて飲む人々など、飢餓地獄の諸相をつぶさに描いた迫真のドキュメントと

なっている。飢餓の病理学的症状を記述している点でも、他に例がない。

 

 

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《本書「まえがき」より》

 

 

歴史家の仕事は、周知のとおり、さまざまな民族が長い年月にわたってひき起こしてきた 出来事の真実をわずか数百頁の枚数のなかで明らかにするという困難なものである。 私は、本書で使ったすべてのことばではなく、すべてのアルファベット当たり凡そ20人の生命が、本書で述べた出来事において失われたということを指摘することによって、今回はその仕事の全体像を示せるのではないかと思う。(訳注:本書で使われたアルファベットの総数は、大雑把に計算すると、約725,000字になる。それを20倍すると、著者が本書で主張する飢饉や強制収容所における死亡者数1,450万人とほぼ一致する。)

それで私は、自分を支援してくれたすべての人にお礼を申上げたい。まず、私の第一のスポンサーになってくれたハーバード大学ウクライナ研究所とウクライナ民族協会にたいして、つぎに、これらの機関にスポンサーになってもらうことを私に勧め、準備をしてくれたオメリアン・プリツァク教授、イーゴル・シェヴチェンコ教授、アダム・ウラム教授(いずれもハーバード大学)らにたいしてお礼を申上げる。

また、実際の研究に当たっては誰よりもハーバード大学のジェームズ・メイス博士に感謝したい。氏は、幅広い研究にたいして協力をおしまず、私と熱論をかわし、協力してくれた。また同時に、スタンフォード大学フーバー研究所のミハイル・ベルンスタム博士にも心からお礼を言いたい。彼には、特に人口統計学と経済問題について協力してもらった。また、スタンフォード大学のヘレナ・ストーンも同様である。彼女は、研究全般において協力し、膨大な資料に目を通してくれた。さらに、いろいろな方法で、さまざまな証明への道をつけてくれた多くの人たちのなかから、特にマルタ・ブリル・オルカット教授、ボーダン・ストルミンスキー教授、タラス・ルカッチ教授、ダナ・ダルリンプル博士らに感謝したい。

私は、キエフ、ハリコフ、オデッサなどは別にして、ウクライナの地名と人名についてはウクライナ語のスペルにしたがった(ただし、さまざまな綴りで英訳されている、あまり重要でない地方の地名にはこだわらなかった)。また、些細なことかもしれないが、私は、単に「ウクライナ」と書くよりも「ザ・ウクライナ」という書き方をした。あるウクライナ人たちは、ウクライナという言葉が国家としての地位を表すよりも、むしろ地方性や従属性を意味する軽蔑的なものだとしている〔ウクライナというロシア語は、辺境を意味する〕。しかし、ウクライナの国家的独立に共感する西ヨーロッパの研究者たちは、ほとんどの著作において、また優れたウクライナ作家の翻訳においても「ザ・ウクライナ」を用いており、ハーバード大学ウクライナ研究所もこれを容認している。現在は、それが英語の一般的な使い方であり、たとえば「ザ」ネーデルランドがそうであるように、これはその非独立性を表しているものではない。それにも拘わらずこれに苛立ちを感じる読者があれば、私は許しを乞う。そして、これを不注意と感じる多くの人こそ不自然であると思ってもらいたい。

また、辛うじて判読できるような、長たらしい原稿を整理し、清書する仕事は、アーミィ・デサイ夫人がいつも快活に手際よくこなしてくれた。ジョン・バイヒマン氏もまた、私の妻と同様、この仕事を手伝ってくれ、感謝している。妻は、原稿のもっと厄介なところを整理するために自分の著述の時間をさいてくれたのだ。そして、いつも私を支え、激励してくれた。

私が利用したアメリカとヨーロッパのさまざまな資料については、フーバー研究所のすばらしい図書館と古文書にとくに感謝したい。

 

 

1985年 スタンフォード、カリフォルニア R.C.(=ロバート・コンクエスト 著者)

 

 

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《書評より》

 

 

「飢饉=テロ」の論理は成り立つか?■下斗米伸夫(法政大学教授)

 

父ブッシュ大統領がスコークロフト補佐官と退任後に書いた回想『変容した世界』(1998)は、翻訳がないが、冷戦終焉とソ連崩壊についての必読文献だ。その中でウクライナ独立に動き、ソ連崩壊を促したのは、西ではカナダ政府やウクライナ系米国人だったと指摘している。移民社会はしばしば本国以上に民族主義の培養体になりがちだ。そのカナダや米国のウクライナ移民達が民族感情を高めた一因は、本書が思い出させた1932〜1933年の飢饉の記憶だった。86年に初版がでた本書で著者のコンクエスト氏は、数百万の餓死者を招いたのはスターリンによるウクライナ民族への系統的テロルであったと主張した。それが本国に逆輸入されて反モスクワ感情の爆発へと至ったのは91年末であった。

今回1932〜33年のソ連、特にウクライナでの農業危機と飢饉を分析した『悲しみの収穫』が翻訳されたのは有益だ。ソ連ではスターリン時代、とくに30年代前半の農業危機、飢饉にふれることはゴルバチョフ期までタブーだった。飢餓の北カフカースで成長したゴルバチョフの自伝でも飢餓の幼年期にふれることはほとんどなかった。彼は被害者であると同時に、のちに農業担当書記となって加害側の責任も負っていたからか。

評者はブレジネフ時代末期、本書でもふれられているクバンでの33年飢饉について英国の学会で発表した。そのときソ連の著明な歴史学者が、スペルの間違いだけを指摘して苦虫をかみつぶした顔をしていたのをおもいだす。

その意味では本書は画期的なはずだが、正直いって歴史的に成功したプロパガンダとしてはともかく、スターリンが起こした30年代前半の危機の分析としては問題が多い。ボルガやクバンの飢饉は、一般にはともかく日本のソ連史学会では当時すでに分析されており、目新しいものではない。本書前半は当時の水準でも平凡な学説紹介だ。読むに値するのは第三部のウクライナ飢饉の回想等の紹介だ。これらは最近、いっそう知られるようになってきたが、十二章の33年春の記述にはいまでも胸が詰まる。

その上で、本題として、飢饉はウクライナ民族主義へのテロだったと断定しているのだが果たして成り立つのか。歴史の因果分析は難しい。本書に書かれている「スターリンの政策がウクライナの飢饉をうんだ」という指摘は歴史的には正しい。しかし「スターリンはウクライナ民族を根絶する目的で飢饉を起こした」とまで主張するなら、それは誇張としかいいようがない。

ウクライナとは辺境という意味だが、どこから見た辺境か。著者が注意深く書いているとおり、ロシアではなくポーランドの辺境だった。そこのコサック(ロシア語ではカザーク)たちが独立したが、やがてロシア帝国の一部になる。コサックはロシアの重要な部分ともなった。「国家なき民族」だったウクライナが独立するのは91年末だが、その時この本の主張は、本国に輸入されて効果を生んだ。

しかし飢饉は、著者も慎重に書いているように、ほかの地域、ロシア南部のクバンでも、ボルガ流域でも、そして中央アジア、カザフスタンでも広く起きていたのである。それではなぜ、著明なフランスのソ連史家ダンコースがかつて予言したように、中央アジアからソ連崩壊が起きなかったか。因果分析は、他の可能性についても明らかにすべきなのだが、コンクエスト氏にはそれがなく、ウクライナ人が被害者という短絡的な主張になった。

コンクエスト氏には34年のキーロフ事件についての著作もあり、北カフカース危機の実行者だったシェボルダーエフ書記らが、第十七回党大会でスターリンにかわり、キーロフを書記長に推すために動いたことも知っている。彼を含めたこの大会の出席者の七割がなぜスターリンの粛清で死んだのか、この関連には本書は何もふれていない。スターリンの政治局の中でで起きていたことは、当時の文献やOGPUの農村報告で今わかるようになった。それを読まなかったと著者をせめるのはもちろん酷だ。それでも反スターリン派のリューチンの抵抗についてはふれているものの、悪の手先「スターリン主義者」のポスティシェフ、シルツォフと、善玉(?)のウクライナ系党員といった区別をしているのも単純すぎる。危機はウクライナ系だけでなくすべての南部農業地帯の農民大衆を、そして忠実なスターリン党幹部をもおそったのだ。ソ連史上では今や当たり前の主張を、著者はこのウクライナ受難というスポンサーの政治目的にあわせすぎた。

日本側からの別の解釈のヒントを指摘しておこう。この飢饉には満州事変以降、とくに満州国建設後の日ソ関係もかかわりがある。つまりスターリンは集団化、工業化の失敗に加え、日本からの危機にあわせて、極東の軍事化をする必要があった。戦後と違ってソ連はまだ軍事大国ではなかった。スターリンは死ぬまで「サムライ」日本をおそれていた。スターリンは農民を犠牲にして飢餓輸出をし、極東を軍事化したというのがより広い解釈である。その犠牲者が南部全体の農民たちだった。その子孫であるゴルバチョフの改革によってソ連崩壊へと至った。中国や北朝鮮での飢饉も含めて研究すべきことは当然だ。だが強引な政治主義解釈は、せっかくの労作の価値を半減する。そのことをふまえて読まれるべきであろう。《「諸君!」2007年7月号》

 

 

「正論」2007年6月号(読書の時間 欄)■兵本達吉

 

評者は2000年に、シベリアへ旧ソ連の強制収容所(グラーグ)の研究に出掛けたことがある。ハバロフスクで青年時代を収容所で過ごしたクリコフという老人は「1930年代に総てのロシア人は恐怖感で凍りついていました。この恐怖感を外国人であるあなたは理解することができないでしょう」と語った。

本書では1929年から1932年までの間に、スターリンが企てたソ連の強行的工業化の試みと、そのために行われた富農撲滅運動と農行集団化政策の結果、数百万の農民が飢餓に追い込まれ、大量に殺戮された歴史について語られている。

もともと、マルクス主義では、農民は、やがては近代化の波のなかで消えてゆく影のうすい存在であり、1917年の革命とその後の国内戦・農民戦争をへて、ロシアの農村には、すでに階級とか階級対立というものは基本的になくなっていた。

しかし、レーニンによって「農村における階級闘争」という思想が作り上げられてゆく。キューバのカストロがあけすけに語っているように「革命には敵が必要である。革命はそれ自体の発展のために、それ自体のアンチテーゼが必要なのだ。つまり反革命分子である」。

このようにして、農村には「貧農委員会」なるものが設立され、酔っぱらいの酒飲みやゴロツキ、社会的落伍者がかき集められ、ピストルを与えられて武装し、農村における階級闘争の主人公として立ち現われた。富農と貧農の対立という「架空の図式」が描き出され、党によって富農に対する「階級闘争」がけしかけられてゆく。

富農撲滅運動とは、富農から財産を没収し殺戮することを意味した。富農とは、勤勉で有能な農民のことであり、農業の集団化に最も反抗した農民のことであった。これを家族ぐるみ家畜運搬専用車に乗せて北極圏に運んだ。そこには、住宅や食料は勿論のこと、シャベルやのこぎり一本もないところであった。このような凍土に彼らを放置して餓死・凍死させた。

農行集団化とは、農民から土地を取り上げ「集団農場」に集め、農作物を最も効率的に搾り上げることであった。こうした政策の結果、数百万の農民が命を奪われた。1930年代に史上未曾有の飢餓に見舞われたウクライナでも、約一千万人のウクライナ人が犠牲になった。これはスターリン政権に抵抗するウクライナ人に対するテロ攻撃そのものであったが、本書は史上初めて、その全容を解明した。2006年11月になって遂にウクライナ議会は、これを「ソ連によるウクライナ人に対するジェノサイド」として認定して非難する決議を採択した。

 

 

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■著者略歴

ロバート・コンクエスト(Robert Conquest)1917年、イギリス生まれ。

外交官勤務もあるソヴィエト史家、詩人、小説家。著書に『スターリンの恐怖政治』上下(片山さとし訳、三一書房、1976年。 原題は『大テロル』。1990年に改訂版)『誰がキーロフを殺したのか』(新庄哲夫訳、時事通信社、1970年)『スターリン−ユーラシアの亡霊』(佐野真訳、時事通信社、1994年)『荒廃した世紀を顧みて』(2000年、ノートン社)『期待の龍たち』歴史評論集(2005年、ノートン社)。

90歳にちかい高齢にもかかわらず、今なお新しい史料を駆使して歴史の加筆と 修正に情熱をそそいでいる(2007年2月現在)。

本書名の「悲しみの収穫」は、「涙をもって種まくものは、喜びの声をもって刈り取る」(『旧約聖書』、「詩篇」第126篇)をもじったものであろう。

 

 

■訳者略歴

白石 治朗(しらいし じろう)1936年、大阪府生まれ。

早稲田大学文学部露文科卒業、同大学院文学研究科博士課程(西洋史専攻)修了。ロシア史専攻。東京ロシア語学院講師。

著書に『ロシアの神々と民間信仰−ロシア宗教社会史序説』(彩流社)『概説西洋社会史』(分担執筆、有斐閣)。訳書に『東方正教会』O・クレマン(共訳、白水社)『プレハーノフ』S・M・バロン(共訳、恒文社)『モスクワとロシア文化の源流』A・ヴォイス(恒文社)『十九世紀ロシア農村司祭の生活』I・S・ベーリュスチン(中央大学出版部)『ロシア民衆反乱史』 P・アヴリッチ(彩流社)など。

 

 

 




 
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